組織の外で働く−不安をクリエイティビティに変えていく「環境」(学術ブログ)

起業家や個人のビジネス・コンサルタント、フリーランサー、クリエイターのような「職場」や「組織」の外や間で活動している人は、最近注目され、憧れの対象ともなっている。しかし、このような「インデペンデント・ワーカー」は日常的に様々な不安に直面している。経済的な不確実性に限らず、アイデンティティそのものが不安定になることがよくある。その結果、仕事がしづらくなり、生産性が落ちてしまう。ここでは海外の組織学研究を参考にしながら、アイデンティティ上の不安について考え、それをクリエイティビティへ変えていくことを可能にする「環境」について検討する。今後自立を目指す人へのヒントもいくつか引き出したい。

最初に、「アイデンティティ」とは何だろう。簡単に定義してみれば、「自分」というものが誰なのか、何を誰とするのか、それから、何のために生きて働くかのような「線引き」のプロセスや、その結果として生まれる精神構造だと言えよう。アイデンティティが「自分」の存在に意味や方向性を与えるものであれば、それが揺らぐ時には存在危機や方向感覚の喪失を伴うことがある。「自分」の周りに線を引くことによって、個人が現実というものを(圧倒されない形で)把握・理解できるようになれば、不安定さや危機のような問題を管理することができる。

仕事の形態を考えれば、正社員という形は比較的安定したアイデンティティを作るための要素が多い。組織内の役割が長期的に定められており、一緒に働く同僚も毎回変わるわけではない。「自分」と「自分の仕事」(それに特に情熱を感じなくても)の位置づけが見えやすく、自分から主張しなくても自分の存在をが確認されることが頻繁におきる。「パフォーマンス」より「所属」のロジックの元で働いていると言える。

一方で、個人事業主やその他の「インデペンデント・ワーカー」は違う。例えばサステイナビリティ・コンサルタントの場合、自分の周りに安定した組織構造がないし、共働する人も日常的に変わる。「自分」は何者か、そしてどんな仕事をしているかは、自ら訴えるしかない。存在を認めてもらうには、「所属」よりも「パフォーマンス」や「業績」こそが重要になる。 

要するに、後者は前者より自由でクリエイティブに働くことのできる可能性があると言えるが、アイデンティティ上の危機に陥る危険性が高い。このジレンマをいかに解決するかについて研究しているPetriglieri, Ashford & Wrzesniewski (2018年)は、一つ大切な発見をしている。それは、「インデペンデント・ワーカー」は自分の仕事の効率や結果を最優先する一方で、仕事を根本から支える「環境」の構築・維持・調整にも多大な力を注いでいるという点だ。

この組織の外で行われる仕事の土台となる環境を、Petriglieriたちは「holding environment」と概念化し、「心を乱すような感情を抑え、物事の意味を把握するセンスメーキングのプロセスを推進することができる社会的な受け皿」としている。このように精神的に落ち着く環境では、強迫的な感情・考えをフィルタリングし、よりクリアに志向でき、仕事の方向性がより明確に見えるようになる。そして、「自分が生きている」という実感(vitality of the self)をもたらし、不安をクリエイティビティへ変えることができるのだ。

だだ、ここでいう「環境」は一面的なものではない。Petriglieriたちは65人の「インデペンデント・ワーカー」を調査した結果、四つの重要な次元を見出した。それは「大切な他人」「集中しやすく個人のニーズに合ったワークスペース」「日常的なルーチン」「自分を超えたより大きな目的」とのつながりである。その組み合わせにより効果的な「holding environment」が成り立つ。

例えば、Petriglieriたちがインタビューしたあるアーティストは、自分が働く主な場所であるスタジオについて、次のように述べている。「ここに来た日は、例外なく自分は誰なのか、どのような分野にコミットしているのか、何を作っているのか、それから自分のアートを使って何が言いたいのか、といったことをはっきりと意識することができる」。ここに「場所」と「アイデンティティ」の密接な関係が、よく表れている。

今後自立を目指す人は、この研究からどのような教訓を得ることができるか。「自立する」を、過去・現在のアイデンティティから新しいアイデンティティへの移行(transition)と捉えれば、その移行を実行する数ヶ月前から新しいアイデンティティを確認することのできる「環境」を意識的に構築することが、その教えの一つだろう。例えば前述したサステイナビリティ・コンサルタントの場合であれば、自分の周りに(友人や同僚などが構成する)チームやアドバイザーを集めて、サステイナビリティについてのワークショップを行えば、この分野の「専門家」としての自信やアイデンティティが次第に強まってくる。さらに、自立したら集中して働くことができるのはどこなのか、どこでネットワーキングするべきかかなども事前に考えることで準備できる。

最後に、Petriglieriたちが提唱する「holding environment」は、あくまでも個人のニーズに見合ったきめ細かい受け皿であり、コワーキングスペースなどの、単独の施設やコミュニティで完全に成り立つようなものではない。コワーキングスペースのような場所は、もちろん「holding environment」の一環にはなりうるが、それが、より広い個人のクリエイティブ環境や、新しいアイデンティティへの移行の中でどのような役割を果たしているのかについては、今後詳しく検討するべき面白い課題である。

  

このブログで紹介している学術論文の出典情報

Petriglieri, Gianpiero, Susan J. Ashford, and Amy Wrzesniewski. “Agony and Ecstasy in the Gig Economy: Cultivating Holding Environments for Precarious and Personalized Work Identities.” Administrative Science Quarterly, February 6, 2018, 000183921875964. https://doi.org/10.1177/0001839218759646.

 

Tuukka Toivonen